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    Director's note 010:野村浩 展【ヱキスドラ ララララ・・・】

    2013.07.16 Tuesday

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      【謎解き】
      ギャラリーの前面をすっぽり覆い隠す巨大なモノクロプリントが割れるように自動ドアが開く。
      中に入ると、いつもはメインの作品が展示される壁に無数の黒い影が並んでいる。
      異様な雰囲気のギャラリーで、比較的普通にみえるモノクロの額装写真を見始めたとき、不意にこう声をかけられる

      「この作品の制作で、野村さんはカメラを一切使用していないんですよ。」

      …つまりこの写真はどこからか引っ張ってきたものなのだろう。そしてそのソースにたどり着く手がかりは、写真の中にちりばめられているという。

      黒い影(=エキスドラ)から、写真全体に目を移し、丁寧に見つめていくと色々不自然なところが見つかってくる。まるで断層のように上下にズレた箇所、写真の上部は陽炎のように揺らいでいる。
      そして新橋とわかる某紳士服チェーン店前の作品では、プライバシーへの配慮だろうか、サラリーマンの顔にボカシが入っっている。しかしなぜかボカす必要の無い広告物の顔までも。。

      最後に今回のDMで使用されたY字路の作品に案内され、そのアスファルトを見つめるように言われる。
      なにやらうっすら白い文字が見える。さらに目を凝らして見つめ、読んでみる…



       " © 2010 Google "


      「あ〜!…」

      【エキスドラ20年の歴史】
      初代エキスドラ作品は、野村浩がまだ東京藝術大学在学中に誕生した。
      ちなみにエキスドラとはドラえもんのエキスの意であり、エキストラとも掛けた名称だ。

      非現実的存在の象徴として描かれたエキスドラを増殖させ、街のいたるところに設置し、
      写真におさめることで現実の風景に揺さぶりをかける。
      その特異な作品は学内では「半笑い」(野村)の扱いを受けるものの、第一回キヤノン写真新世紀公募展に入賞する。
      (その後、エキスドラに描かれた『固定されていない目』がエキスドラ本体から独立し、EYESシリーズへ発展することとなる。)

      時は流れ2010年、野村浩は写真集『Slash』を刊行する。
      一見、今までの野村浩の作風とは違い、モノクロのストリートスナップで構成されたストレートな写真作品は、全てGoogleストリートビュー(以下ストリートビュー)からのキャプチャー画像を元に制作されたのだった。
      こうした歴史を経て、エキスドラの世界観にSlashが融合し、今回の【ヱキスドラ ララララ・・・】が誕生することになった。

      【写真的な身振りとストリートビューの手癖】
      20年前の初代エキスドラでは、現実の世界に非現実を持ち込んだ野村浩だが、
      今回はその舞台をそのものをストリートビューという非現実世界に設定し、エキスドラを配置する。

      その上で、モノクロや粒状感などの『写真的な身振り』をほどこしプリントを制作、ホワイトアッシュのフレームで上品に額装され、最終的にギャラリーという空間に飾られた作品は、通常のプロセスを経て制作された写真作品としての雰囲気をまとい「非現実世界を現実に引き戻そうとする。」(野村)

      しかしながらストリートビューの手癖ともいえる画面のズレやボケ、顔認識ソフトで機械的に処理された不規則な顔のボカシ等は、一見現実に見える世界の『ほころび』をしっかりと見せつける。このため観る者は現実と非現実の狭間で翻弄されることとなる。EYESシリーズ同様、ここでも『今ある世界を疑う』という野村浩作品を貫くコンセプトは明確だ。

      【独自のバランス感覚】
      ストリートビューを利用し作品化する作家は、現代アメリカの貧困地域を『撮影』したダグ・リカルドをはじめ、世界には何人も存在するが、エキスドラという日本的なキャラクターの存在が野村浩の作品を独自なものにしている。またT-シャツなどの商品にも簡単に変容し、どんどん拡散する様はポップアートのような身軽さだ。

      PopでCuteでエンターティメントな「芸風」(野村)は、野村作品の敷居を低くし、だれでも気軽にそのドアを開けることができる。
      ギャラリーのコーナーには黒い階段が設置され、子供が笑いながら登ったりする。
      床に積み上げられたエキスドラのカードは、一人一体お持ち帰りOKのサービスっぷりである。

      しかしその楽しさの裏には、しっかり張り巡らされた伏線と、更なる深い思考への小径が数多く用意されているのも野村作品ならではだ。
      ギャラリーを旅立ったエキスドラは、増殖、拡散し持ち帰った人の世界に浸食する。
      黒い階段を登った子供を見つめる親は、子供が壁の中に消えてしまう錯覚を覚える。

      またこの階段を観て、赤瀬川原平のトマソンや、故・榎倉康二の作品を連想するアートファンも何人かいた。(ちなみに榎倉康二は野村浩の東京芸術大学時代の恩師である)

      ただ、それら無数の小径について、事細かに説明するのは無粋というものだ。
      いつ、どこまで入り込むのかは、観る者の判断に委ねるべきだろう。
      言い換えると、先ほど軽い気もちで開けたドアは、開ける者の意思でどこまでも行ける、どこでもドアなのだ。

      (一応参考までに柿島が会期中に入り込んだ他の小径を挙げると、found photo/ベッヒャー派/撮影の身体性/双子の写真史/Y字路と横尾忠則、ウジェーヌ・アジェ/肖像権と著作権…キリがないし、人によって違うはずだ)

      従って冒頭の謎解きも、ストリートビューという種が分かった時点で終わりではなく、むしろそこからが更なる謎解きのスタートなのである。

      【これからの20年】
      お腹いっぱいの展示を後にしようとする時、とどめが待っている。
      最初に何気なく通り過ぎたギャラリー前面の巨大プリントが、今webで見ることの出来るポエティック・スケープのストリートビュー画像で制作されたものなのだと知る。このサイトスペシフィック(Site-specific)な作品は、今後このシリーズが各地で展開する際の可能性を示していると思う。

      よく観察すると、現在の様子とは少し違っている。
      現在ポエティック・スケープがある場所は草木に覆われている。2012年にギャラリーが開業する以前は植木屋の作業場だったからだ。(中目黒4丁目近辺がストリートビューで撮影されたのは2009年10月らしい)時空が歪んだ不思議な感覚につつまれたまま、お客さんはうだるような暑さの街へと去って行く。

      野村浩作品のもう一つの特徴を書き忘れていた。
      それは執念にも似た『しつこさ』である。

      その誕生から20年、エキスドラはここまで進化した。
      それでも野村浩は、すでに次の展開を考えているようである。

      (2013年7月16日 POETIC SCAPEディレクター 柿島貴志)

      *SPECIAL THANKS 展示風景撮影:今井智己
      *野村浩展 【EYESー真夏の昼の夢】Director's note