Director's note 007:野村恵子 展【Soul Blue-蒼の彼方へ】
2013.02.23 Saturday
2012年10月21日、中目黒のギャラリー開店前のわずかな時間で
東京は根岸にあるスペース『そら塾』に立ち寄った。
野村恵子の新作写真集『Soul Blue-此岸の日々』刊行を記念し
3日間だけ開催される写真展を観るためだった。

野村さんに挨拶し、2階へ上がる。そして赤い床の間に展示されていたある作品に出会う。
実はその時の記憶が曖昧だ。失礼ながら野村さんと話した内容をまるで覚えていない。
とにかくその作品(赤のヌードと呼ぶことにする)に一目惚れ状態だったのだと思う。
頭の中がジーンと痺れた状態のまま、中目黒へ向かう日比谷線の中で
最新写真集『Soul Blue-此岸の日々』のページをめくる。
興奮状態を鎮めてくれたのが、蒼いマフラーをまとったKozueさんという女性だった。

中目黒駅に着く頃には、すでにポエティック・スケープでの展示プランを考え始めていた。
蒼いマフラーのkozueさんには、展覧会のフライヤーやギャラリーのメイン壁をお任せしよう。
そしてあの赤のヌードの女性は、そう簡単には見せまいと。
ギャラリーの奥に丁重にお迎えしよう…照明も控えめに。

野村恵子という優れた写真家の存在は以前から知っていたし、写真集『Bloody Moon』も手元にあった。
それまでの私にとって野村恵子と言えば、血のような赤を撮る人。
熱くたぎるマグマのような熱を帯びた血だ。
その血の赤は「女」の領域であり、男の私が安易に「わかる」とは言えないような
アンタッチャブルな世界だと勝手に思いこんでいた。

それが今回の写真集『Soul Blue-此岸の日々』においては蒼が前面に出てきたことで、
男の私でも野村恵子の世界に踏み入れることが出来るような気がしたのだ。
言うまでもないが、野村恵子の蒼が意味するところは、死である。

「消えていくいまを、そこに在ったはずの光を、
光の痕跡として記憶していたい、写真に残したいと衝動することは、
いまを生きている私の本能だ。」ー野村恵子ー
野村さんがアメリカ留学中の1995年1月、実家がある神戸を阪神淡路大震災が襲う。
急遽帰国するが、あまりの惨状に再びアメリカに戻ることはあきらめる。
しばらくは水汲みの毎日だったという。
野村さんは2009年に母親を、そして昨年には父親を相次いで看取った。
写真集のカバー写真は母親が他界した数十秒後に差し込んできたというカーテン越しの朝日だ。

「両親が亡くなるというのは、独り立ち、やっと大人になったのかなという感じ」
(石内都氏、2013年2月16日、野村恵子さんとのクロストークにて)
『Deep South』『Bloody Moon』『Red Water』と続いた、野村恵子の生と死に向き合う旅は
両親の死という逃れられない人生の節目を経て『Soul Blue』に結実する。
「確かな日常などないのか、日々はまたあるとき突然にもろく崩れていくのか。」
(『Soul Blue』あとがきより)
多くの作品の舞台となったそら塾も、近く取り壊されることが決まった。
だが、あの赤い壁は、赤のヌードは、野村恵子の作品の中にしっかりと記憶されている。

(2013年2月23日 POETIC SCAPEディレクター 柿島貴志)
東京は根岸にあるスペース『そら塾』に立ち寄った。
野村恵子の新作写真集『Soul Blue-此岸の日々』刊行を記念し
3日間だけ開催される写真展を観るためだった。

野村さんに挨拶し、2階へ上がる。そして赤い床の間に展示されていたある作品に出会う。
実はその時の記憶が曖昧だ。失礼ながら野村さんと話した内容をまるで覚えていない。
とにかくその作品(赤のヌードと呼ぶことにする)に一目惚れ状態だったのだと思う。
頭の中がジーンと痺れた状態のまま、中目黒へ向かう日比谷線の中で
最新写真集『Soul Blue-此岸の日々』のページをめくる。
興奮状態を鎮めてくれたのが、蒼いマフラーをまとったKozueさんという女性だった。

中目黒駅に着く頃には、すでにポエティック・スケープでの展示プランを考え始めていた。
蒼いマフラーのkozueさんには、展覧会のフライヤーやギャラリーのメイン壁をお任せしよう。
そしてあの赤のヌードの女性は、そう簡単には見せまいと。
ギャラリーの奥に丁重にお迎えしよう…照明も控えめに。

野村恵子という優れた写真家の存在は以前から知っていたし、写真集『Bloody Moon』も手元にあった。
それまでの私にとって野村恵子と言えば、血のような赤を撮る人。
熱くたぎるマグマのような熱を帯びた血だ。
その血の赤は「女」の領域であり、男の私が安易に「わかる」とは言えないような
アンタッチャブルな世界だと勝手に思いこんでいた。

それが今回の写真集『Soul Blue-此岸の日々』においては蒼が前面に出てきたことで、
男の私でも野村恵子の世界に踏み入れることが出来るような気がしたのだ。
言うまでもないが、野村恵子の蒼が意味するところは、死である。

「消えていくいまを、そこに在ったはずの光を、
光の痕跡として記憶していたい、写真に残したいと衝動することは、
いまを生きている私の本能だ。」ー野村恵子ー
野村さんがアメリカ留学中の1995年1月、実家がある神戸を阪神淡路大震災が襲う。
急遽帰国するが、あまりの惨状に再びアメリカに戻ることはあきらめる。
しばらくは水汲みの毎日だったという。
野村さんは2009年に母親を、そして昨年には父親を相次いで看取った。
写真集のカバー写真は母親が他界した数十秒後に差し込んできたというカーテン越しの朝日だ。

「両親が亡くなるというのは、独り立ち、やっと大人になったのかなという感じ」
(石内都氏、2013年2月16日、野村恵子さんとのクロストークにて)
『Deep South』『Bloody Moon』『Red Water』と続いた、野村恵子の生と死に向き合う旅は
両親の死という逃れられない人生の節目を経て『Soul Blue』に結実する。
「確かな日常などないのか、日々はまたあるとき突然にもろく崩れていくのか。」
(『Soul Blue』あとがきより)
多くの作品の舞台となったそら塾も、近く取り壊されることが決まった。
だが、あの赤い壁は、赤のヌードは、野村恵子の作品の中にしっかりと記憶されている。

(2013年2月23日 POETIC SCAPEディレクター 柿島貴志)